2025.05.14
皆さま、こんにちは。年を重ねるにつれて考えるようになる「終活」。しかし、この言葉を聞くと、どこか寂しさや終わりを感じてしまいませんか?実は私も同じでした。50代に入り、徐々に終活を意識するようになったとき、それは人生の終わりの準備ではなく、新たな始まりのきっかけになると誰が想像したでしょう。 今日は「終活」という言葉の印象を大きく覆した私自身の体験をお伝えします。単なる遺品整理や相続対策ではなく、そのプロセスで偶然見つけた新たな才能、生きがい、そして人生観の変化について綴っていきます。 片づけから始まった私の終活は、予想もしなかった形で人生の転機となりました。遺品整理のつもりが、眠っていた情熱を呼び覚まし、終活カウンセラーさえも驚く展開に。この記事が、これから終活を考える方々、あるいは人生の新たなステージを模索している方々の参考になれば幸いです。私の体験から、終活が実は「終わり」ではなく「始まり」であることをぜひ感じていただければと思います。
「終活」と聞くと、人生の終わりに向けた準備というイメージがありますが、実はこれが新たな人生の始まりになることをご存知でしょうか。50代になり、ふと「自分の残りの人生をどう生きるか」と考え始めたことが、思いがけない才能との出会いにつながりました。 終活を始めたきっかけは、長年勤めた会社での役職定年。これまで仕事一筋だった私にとって、突然増えた自由時間は戸惑いの連続でした。そこで、人生の整理をしようと思い立ち、まずは家の中の断捨離から始めました。 押し入れから出てきたのは、若い頃に趣味で集めていた古い写真と、撮影に関する書籍の数々。当時は時間がなくて諦めた写真の腕を磨くチャンスだと思い、カメラを新調。近所の公園や街並みを撮り始めると、SNSに投稿した写真が思いのほか好評で、地元の観光協会から「街の魅力を伝える写真を撮ってほしい」とオファーをいただくまでになりました。 さらに驚いたのは、終活セミナーで知り合った仲間との交流です。同世代の方々との語らいから、「シニア向けの写真教室」を開催するアイデアが生まれました。カルチャーセンターでの講師デビューは緊張しましたが、「同年代の先生だから安心して学べる」と受講生から喜ばれ、今では月に3回の教室が満席状態です。 思えば、終活は「終わり」ではなく「始まり」でした。自分の棚卸しをすることで眠っていた才能に気づき、新たな挑戦へと踏み出す勇気をもらったのです。日本カメラ博物館での企画展に自分の作品が選ばれたときは、涙が止まりませんでした。 終活は決して暗いものではありません。むしろ、自分の内面と向き合い、本当にやりたかったことを見つける絶好の機会なのです。あなたの中にも、まだ気づいていない才能や情熱が眠っているかもしれません。終活をきっかけに、新たな人生の扉を開いてみませんか?
終活を始めた当初、私の目的はシンプルでした。物を減らし、残された家族に迷惑をかけないこと。しかし、実際に手を動かしてみると、単なる片づけ作業が人生の転機になるとは思いもよりませんでした。 押し入れの奥から出てきた古いアルバム。若かりし日の友人との旅行写真を見つけた瞬間、忘れていた情熱が蘇りました。「そうだ、私は旅が好きだったんだ」。何年も先延ばしにしていた旅行計画を立て直し、今では毎月小旅行を楽しんでいます。 また、断捨離の過程で気づいたのは、物の「必要性」より「愛着」で判断していたことです。実用的でなくても、心が喜ぶものだけを残す決断をしたところ、空間だけでなく心にも余裕が生まれました。終活カウンセラーの田中さんは「モノを手放す過程で、自分の価値観と向き合えることが終活の醍醐味」と言います。まさにその通りでした。 さらに、遺品整理業者の方との会話がきっかけで、同じ悩みを持つ人々のサポートを始めました。月に数回、地域のコミュニティセンターで「終活カフェ」を主催し、片づけのコツや思い出の整理方法をシェアしています。参加者からの「あなたのおかげで前向きになれた」という言葉が、新たな生きがいとなっています。 終活は「終わり」のための準備ではなく、残された時間をより豊かに生きるための「始まり」だったのです。物を整理する過程で、本当に大切なものが何かを発見し、新しい人間関係も生まれました。幸せとは所有することではなく、心が喜ぶ経験と人とのつながりにあることを、終活を通して学びました。
両親が他界し、実家の遺品整理に取り掛かったのは予想以上に大変な作業でした。50年分の思い出が詰まった家の片付けは、感情的にも肉体的にも大きな負担でした。当初は片付けることだけに集中していましたが、ある日終活カウンセラーの松田さんから「単なる片付けではなく、自分自身の棚卸しの機会にしてみては?」とアドバイスをもらったことが転機となりました。 遺品整理を通じて、父が大切にしていた古い写真機コレクションに改めて向き合ったとき、私も写真に興味があることに気づきました。子供の頃、父と一緒に写真を撮りに行った記憶が蘇ってきたのです。実は長年忘れていた私自身の趣味だったのです。 この発見をきっかけに、終活計画は大きく変わりました。単に「物を整理する」だけでなく、「残りの人生で何をしたいか」を考える時間に変化したのです。松田さんは「よくあるケースですが、ここまで明確に新しい方向性を見つける方は珍しい」と驚いていました。 今では地域の写真クラブに入会し、昔父が使っていたカメラで街の風景や人々の表情を撮影しています。さらに、高齢者向けの写真教室のボランティア講師も始めました。同じような境遇の方々が「思い出の品から新たな生きがいを見つける」お手伝いができればと思っています。 終活は「終わり」ではなく「始まり」でもあることを実感しています。特に遺品整理は、故人の人生を振り返ると同時に、自分自身の今後の生き方を見つめ直す貴重な機会なのです。終活カウンセラーの松田さんからは「あなたのケースは終活セミナーで好事例として紹介させていただきたい」とまで言われました。 物を減らす過程で心の整理もでき、新たな可能性が開けてくる——それが終活の持つ本当の価値なのかもしれません。遺品整理から始まった私の第二の人生は、まだ始まったばかりです。